ピンクのバラ
花言葉は「愛と感謝のシンボル」
ナポレオンの妻ジョセフィーヌとバラ
かの有名なナポレオンの妻ジョセフィーヌのお話。
この人はバラの花を本当にこよなく愛した人で、クレオパトラに引けをとりません。
終生過ごしたお城で世界各国からのバラの花を収集し、日本からも取り寄せたといいます。
その数およそ250種類。
バラはお城の庭に植えて観賞はもちろん香水を作り、後世の人々のためにと集めたバラを植物画家に描かせて記録に残したそうです。
ナポレオン失脚後、またジョゼフィーヌ没後も彼女の造営したバラ園では原種の蒐集、品種改良が行われ、19世紀半ばにはバラの品種数は3,000を超え、これが観賞植物としての現在のバラの基礎となったのです。
ちょっとステキなお話なんですが、この夫婦にもいろいろあったみたいです。
少女時代、占い師に「最初の結婚は不幸になるが、そのあとで女王以上の存在になる」と言われたそうです。そしてその占いは当たってしまいます。最初の結婚はうまくいかず離婚。その前夫はフランス革命でギロチンで処刑されるんですね(恐いです)しばらくして、ナポレオンが彼女を見染めて求婚し結婚するんですが、ナポレオンは26歳、ジョゼフィーヌは32歳でした。…っで、夫は2歳年上に、妻は4歳年下にさばよみ、同い年の28歳として結婚証明書を提出したんです(やっぱり気にするんですね)
そのあとなんですが、実はジョセフィーヌはナポレオンのことが好きじゃなかったんです。その為、ナポレオンのことはほったらかしにして浮気をしていたんですね。ナポレオンは何度も戦場から彼女にラブレターを書いていたんですが、それすら見ずに遊んでいたんですね。
ここまででも十分可哀想なんですが、ナポレオンは彼女のことで悩んでいる事を手紙に書いてフランスに送ったら、その艦が拿捕され手紙は新聞に掲載されたんです。大恥をかいてしまったナポレオン、本当に可哀想。結局それからしばらくして離婚するんですが、この辺りからジョセフィーヌはナポレオンのことを愛し始めてしまったんです。でも、もうナポレオンは冷めてしまって、新しい彼女が何人かできたようです。離婚のときは、もう一人では立てないくらいひどくショックを受けたみたいです。
そんなこんながあったんですが、余生は多額の年金を支給され、死ぬまで皇帝の妻として「皇后」の称号を保持し続け、皇帝、皇后共に良き話相手になったそうです。